天国と地獄
誰しも若い時の苦い思い出はいくつかあると思う。
顔から出た火によって焼却してしまいたくなるような青臭い記憶も、年とともに良い思い出になるというが、その頃とあまり変わってない今に気付き、また記憶の蓋をそっと閉じて見なかったことにしたくなる。
さかのぼること、今から21年前。1997年の夏。
給料の全てをCDやライブなどにつぎ込んでいたため食べるものが無くなり、タンポポやぺんぺん草を食べながら、文字通り「草食男子」として20年ほど時代を先取っていた僕は、日本でロックフェスティバルをやるという記事を雑誌で見た。
当時日本でまだほとんど行われていなかったロックフェスに憧れていた。
海外で有名なフェスは、イギリスのグラストンベリーやアメリカのロラパルーザなどで、ニルヴァーナやオアシス、レディオヘッドなど、その時代の最先端のミュージシャンが挙って出演していた。
しかし、雑誌に書いてあった日本で新たにやるというロックフェスの名前を見て愕然とした。
正直、名前ダサいと思った。
フジという言葉にはロックの匂いが感じられず、ロックフェスというより、まるでフ◯テレビが主催する金儲け主義のコンサートのようだ。
どうせ、薄っぺらいミュージシャンしか出ないやつだろうな、と思いながらラインナップを見てみると
rage against the machine
beck
prodigy
massive attack
そして、当時擦り切れるほど聴いていたred hot chili peppers(通称レッチリ)がヘッドライナーだ!
ワンマンでライブをすれば、大きなホール級のライブ会場でも数分でソールドアウトしてしまうようなバンドの名前がずらりと並んでいた。
流行やブランドに極めて弱かった僕は、一瞬で手のひらを返した。
程なくして、同じくレッチリファンの友人Kと初めてのロックフェスに行く準備を始めた。
当日の天候は、会場となる富士天神山スキー場付近に台風が直撃する予報だった。
山の天気は荒れる。
多分、現地の人からは無謀だと思われただろうが、フェスは予定通り行われた。
高地は夏でも冷えるという前情報があったにもかかわらず、日本の夏は隈なく暑いと思い込んでいた僕たちは完全に山をなめていた。
KはジーパンにTシャツ、手ぶら。
僕は短パンにTシャツ、ビーサン。もちろん手ぶらだ。
バカ二人は、湘南に行くスタイルで富士山に向け出発した。
会場までの道中は、ベースのフリーがヤバイとか、ギターのジョンのリフが渋いとか、大好きなレッチリの話を女子高生のようにキャーキャー騒ぎながら移動していた。
そして、海水浴に行くようなテンションで会場に着くと、同じような格好をして同じようにはしゃぎまくっている外人やフジロッカー達が沢山いて、さらにテンションが上がりビールを飲みまくった。
(数時間後、このビールが僕たちの身に起きる悲劇の元凶になるともつゆ知らず。)
日中はまだ良かった。雨は少しパラつく程度で寒くはない。
ビールを飲みながらいろんなライブを見て、フェスの空気を楽しんでいた。
しかし、日が沈むにつれ徐々に雨と風が強くなり少し肌寒くなってきた頃、異変が起こり始めた。
Kがお腹が痛いと言い始め、頻繁にトイレに行くようになった。
しかも、やけに長い。
あきらかにビールの飲みすぎだろう。
だんだん待つのにも飽きてきて、一人で屋台などをふらふら歩き回っていると、いつのまにかKとは逸れていた。
携帯は繋がらず、探すのもめんどくさいので別々に行動することした。
日が暮れ雨風が強くなると、寒くなってきたので持ち歩いていたビールは捨てた。
ライブは後半に入り、レッチリの次に楽しみにしていたrage against the machineが始まった。嵐が更に強くなりかなり寒かったが外人ばかりのモッシュピットで、もみくちゃになりながら体を動かしていると汗をかくほど熱くなった。
ライブが終わって少し座って休憩しているとあっという間に体が冷たくなってきた。
汗をかいた分、さっきより寒い。
レッチリの前は日本のロックバンド、イエローモンキーだったが、その頃の僕には「テレビに出てるようなバンドはロックじゃないから絶対に見ないし、聞かない。」という、誰に対してのアンチテーゼなのかわからない変なこだわり(というかただの偏見)があり、当時テレビに出まくっていたイエモンは見ないとKに宣言していたので、次の出番のレッチリまで座って待つことにした。
しかし、大トリの前ともなると演奏時間はそれなりに長い。しかも、フェスは出演者ごと全器材を入れ替えるのでインターバルも長い。
早く終われと願う。
しだいに雨は強くなり横から殴られるような風吹でびしょ濡れになった。
メチャクチャ寒い。
多分、東京の12月くらいの温度だろう。しかも、短パンにビーサンだ。むき出しの足先はしびれ始めた。
主催者側からの毛布の配給や暖かい食べ物の屋台には長蛇の列ができていて、まわりを見渡すと雨をしのぐためゴミ袋や毛布を被り、寒さに凍えガタガタと震えているフジロッカーたちで溢れかえっていた。
災害の空気が漂い始めた。
まるで遭難だ。(みんな、勝手にいるだけなんだが。)
寒すぎて脳みそも凍結してしまったのか。
だんだん何をしているのか、わからなくなってきた。
もうダメだ! 帰ろう。寒すぎる。
rageのライブが終わって15分ほどしか経っていなかったが、札付きの寒がりで堪え性の無さも折り紙つきだった僕は、あと1分座っていたらコチコチの雪だるまになっていたはずだ。
さよなら、レッチリ。
さよなら、K。(もう、探す気全くなし)
また、何処かで会おう。
ゾンビのように出口に向かって歩く敗者たちに促されるように、振り返ることなくバス停に向かった。
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バス停に自販機があった。
ホットココアを買って飲むと少し体が内側から温まったが、またすぐに冷えて寒くなり、結局、三杯も飲んでしまった。
たぶん、その時の僕の膀胱はビールとホットココアでタプンタプンだったはずだ。
バスに乗る前にトイレに行っておこうと思ったが、今はとにかく寒い、早くバスに乗りたい、早く帰りたい気持ちの方が強くトイレのことは忘れていた。
やっと来たバスに乗り込みホッとするのもつかの間、出発して10分程経った時に体のある異変に気が付いた。
「ちょっと、オシッコしたいかも。。」
30分経った頃には僕の尿意は、チョットからケッコウをとうに通り越しており「ヤバイ」までに達していた。
出発してからまだ30分位しか経っていない。高速道路に入ったばかりだ。富士山から新宿までの途方も無く長い道のり、渋滞などもあるだろうし時間も相当かかるはずだ。
なんて所に来てしまったんだ。しかも、ビーサンで。
行く時はあんなに早かったのに、一向に進んでいる感じがしない。進まないバスに逆行するように加速する尿意。
気が遠くなる。
「ヤバイ、膀胱がはち切れそうだ!」
違うことを考えろ!
そうだ、フジロックの会場に着いた時の幸せな瞬間を思い返せ。
ビールを飲みながらほろ酔いで海外のロックバンドをのんびり聴いていた、ほんの数時間前の幸せな瞬間。
「・・ビール。」
ダメだ、「ビール」という単語はすでに「オシッコ」とリンク付けされており、思い出した途端、破裂寸前の膀胱に意識がいってしまう!
なんであんなに飲んでしまったんだ!ビールもココアも。オレはバカなのか?
なんでバスに乗る前にトイレにいかなかったんだ!
遠足の休憩の時「トイレ、行ける時に行っておきなさい」と言っていた先生の声が頭の中で反響する。
30分前の自分の襟首掴んでトイレに連れて行きたい。
バスの中は補助席まで満員御礼のすし詰め状態でトイレはなく、途中休憩で止まる気配もない。
ダンスと寒さにより憔悴しきったロックキッズ達がひしめき合う車内はまるでお通夜状態だ。
咳払いやヒソヒソと話す声しか聞こえない静まり返った車内で「オシッコ漏れそうなのでどっかで止まってください!!」なんて大声でいう勇気もなく、バスの揺れとともに尿意が増幅していく。
もう、限界だ!!
「いっそのこと、漏らしちゃおうか。」
どうせ、雨で衣服もビチャビチャだし。
つまようじ程の太さになってしまった理性の柱がミシミシと音を立て始めた時、
「大丈夫ですか?」という声がした。
隣を見ると、20歳くらいのロッカー風のかわいらしい女子が覗き込むようにこちらを見ていた。
よほど具合悪そうな顔をしていたのか、それともマジでオシッコちびりそうな顔をしていたのかわからないが、その声が僕の折れそうな理性をギリギリの所で支えてくれた。
そして声をかけられた瞬間、僕はおかしな行動に出た。
抱え込んでイスに上げていた両足をおもむろに下ろすと
「大丈夫。全然」と言ったのである。
もちろん、全然大丈夫なんかではない!
「尿意」に「ええかっこしい」が勝った瞬間だ。
その後は地獄のようだった。
常に隣の女子に見られている視線を感じる。
もちろん、1ミリも見られてなどいない。
僕の過剰な自意識が作り上げた幻覚だ。
足を下ろした分、前よりもタプンタプンのココアビールが膀胱を刺激する圧が強くなり、もはや尿道括約筋の力だけではこいつを押さえつけておくのは困難だ。
周りの筋肉にも緊張が転移してきた。
しかも、常に視線を感じるので背中がピキピキだ。
(く、くるしい・・・・というか痛い)
まるで、生き地獄だ。
彼女の一言で状況はだいぶ変わってしまった。
隣に座ってるのが浮浪者みたいなおっさんだったら良かったのに、と思った。
たぶん、出発して10分で漏らしていただろう。
話などして気を紛らわせたかったが、表情筋を緩めた途端、僕の破裂寸前の膀胱は決壊するだろう。
想像してみた。
隣にいる知らない男と好きなバンドなどの話を和気藹々としていたんだけど、実はそいつがオシッコダダ漏れ状態だったとわかった時のことを。
"ショック!!バス中の惨劇!逃げ場のない密閉された空間の中、足元に徐々に浸食するオシッコの恐怖!"
隣に座っていたA子さんは当時の様子をこう語る
「なんか、へんだなぁ〜と思ったんですよ。最初は普通にお話ししてたんだけどぉ〜。なんか、ふと気づいたら床がビシャビシャに濡れてて~。え!?何処から?ってよく見たら隣の男の人のズボンもびしょ濡れだったの!で、顔見たらすごい形相で~!
あれからもう知らない男の人と話すのが怖くなってしまって、もう一生結婚できないかも・・・・」
・・・こわ〜。
ちょっとしたホラーである。
パニック状態の人間が陥る突飛な想像が、昼のワイドショーとしてアドレナリン絶賛放出中の脳内のテレビに映し出された。
若い女性にトラウマ級のショックを与えてしまう。
ああ、僕の想像力豊かな突飛よ。
このバスをトイレのある場所へ、飛ばしてくれ!
そして、出発してから約3時間。
最後は、あしたのジョーの最終ラウンドのような「こいつ、立ってるだけで精一杯なのに、どこにそんな力が!?」みたいな力が僕の尿道括約筋や仲間たち(他の筋肉)にみなぎり、なんとか終点の新宿まで乗り切ることができた。
ありがとう。僕の過剰な自意識。
ありがとう。尿道括約筋
新宿に着くなり、ペコっと頭を下げバスを飛び降りて猛ダッシュで眠らない街へ消えていった男、隣でずっとプルプルしてた男を見た時に、ロック女子は初めて気付くはずだ。
「あ、あの人トイレ我慢してたんだ。」と。
無事に用を済ませると、外はいつもの蒸し暑く騒々しい東京の夏の夜だった。
身体の内側にはまだフェスの熱狂が残っており、不思議とまたあの極寒の山へ戻りたいと思った。チケット代わりのリストバンドは、しばらく外したくなかった。
泥だらけで電車に乗ると、隣の車両にも同じように泥だらけでフジロックのリストバンドをしているタトゥーだらけの兄ちゃんがいて、目が合いお互い苦い顔で少し笑った。
「いろいろ大変だったけど、まあ楽しかったよね」と目が語っていた。
後日談
結局、お腹を壊したKは何時間もトイレにこもっていたらしい。
しかし、トイレの中で体力を温存していたのか、レッチリはしっかり観れたらしく、後で「レッチリ観ないで帰ったの!?ありえねえ〜!」とか言われ、お前が言うなよ!と思ったが言葉には出せなかった。
そんな、どうでも良い話を思い出し、
どうでもいいことばっか覚えてるな。
と、思った今日この頃。