大人と子供

学生時代のことを書いてみようと思って記憶を遡ってみたんだが、悲しいことにあまり思い返すことがない。

 

中学の時はバスケをやってた記憶しかないし、高校の時は寝てばかりいたので、ほとんど覚えていない。

高校時代はとにかく一日中眠たかった。夜9時間くらい寝ていたにもかかわらず、日中も、授業中、休み時間、昼休み、放課後、いつも眠かった。そして、教室、部室、屋上、保健室、中庭、所構わず寝ていた。高校3年間で、一生分の睡眠時間は消化してしまったんじゃないだろうかと思うほどだ。
「寝る子は育つ」という諺が本当だったら、たぶん高校卒業時には僕の身長は5メートルくらいになっていたはずだ。

 

下級生から好意を持たれた時でさえ「毎日、庭で寝ているのを見ていて・・」とか「保健室でいつも寝てるね」などと、同じようなことを言われた。まるで病人だ。
いつも病人のように寝ているヤツを好きになるのもどうかと思うが、あまりに寝過ぎていたので無意識のうちに寝ている姿までも様になってしまっていたのだろうか。

 

 

当時の僕は教師達からは嫌われていたような気がする。いや、たぶん嫌われていたんだろう。

なにか陰のある不良とか、憎めない悪ガキとか、体制に物申す反逆児みたいな生徒は、怒れば何らかのリアクションがあるが、
僕みたいな、陰もなければ思想も反抗心すら持ってない、ただいつも寝ているようなヤツに怒ってみても「はぁ。」とか「へぇ。」とか、聞いてるのか聞いてないのかよくわからない顔して返事するだけで何の手ごたえもない。言うだけ無駄だ、と思われても仕方がない。

 

 

着替えるのが面倒くさいという理由で体育をよくサボっていた僕は、体育教師からは特に嫌われていた。

 

こんなこともあった。
いつもの様に全体朝礼をサボって一人で教室の机で寝ていると、教師が見回りに来た。
柔道何段とかの強面の体育教師だ。

誰もいない教室で机に突っ伏して寝ている生徒をみたら、普通だったら具合が悪いのか、などと聞くんであろうが、その時僕を見つけた強面教師はいきなり後ろから襟首を掴んで起き上がらせるとなにも言わず投げ飛ばした。
その上、ビンタまでされ、倒れた机を直させると後ろから頭をバコンとはたかれて体育館に向かわされた。

 

そんな目にあった後でさえ、チクショウとかあのヤロウとも思わず、ただ「いって〜。」だけである。ダメなヤツだ。

 

 

そんな感じの生活がダラダラと続くと、いつの間にか僕は3年生になっていて、周りが進学やら就活やら教習所やらでザワザワし始めてきたころ、ようやく長い冬眠から覚めた。

 

次の進路を決めなくてはいけない。いつまでも教室で寝ているわけにはいかないのだ。

 

しかし、特に将来やりたい夢なんかないし、もちろん勉強もしてなかったから大学に行く気もない。
周りの友達が次々と進路を決めていく中、何となくぼんやりと将来の事を考え始めた。

 

 

いつもは爆睡しているはずのいつもの場所で、ゴロンと横になって未来の自分を想像していると、何も考えず寝てばかりいた僕の事を、何も言わず温かい目で見てくれていた「大人」がいた事に気付いた。

もちろん親もそうなんだが、3年間担任だったO先生だ。

 


先生は生徒が何をしても怒らなかった。生徒がタバコを吸おうが、授業をサボろうが絶対に怒らなかった。
特に問題児が多かったクラスだったので他の教師からのバッシングは相当あったはずだが、生徒の前では声を荒げることなく、いつも笑っていた。

 

友達と一緒に授業をサボると、溜まり場だった僕の家に先生から電話がある。

毎回、同じ会話だ。

「今日、どうした?」
「ちょっと具合が悪くて」
「そうか。◯◯と◯◯は一緒か?」
「いないよ(嘘)」
「そうか。明日は来いよ。」
「はーい」

「◯◯達にも言っておけよ」
「・・・・」(バレてたか。)

たぶん先生は、その時サボってた奴らの出席欄には、勝手に全部◯を付けてたはずだ。

 


先生はいつも派手な色のシャツに短パンという、ジョギング好きのアメリカ人みたいな格好で、学校の周りを一人で毎朝ジョギングしていた。

海と山しかないような田舎町で、そんなファンキーな人間が毎日走ってたら、さぞ目立ったと思うが、全く周りの目を気にしていない様子で黙々と走っていた。

 

先生は、今まで会ってきた大人とは、違う種類の大人だった。

僕が知っている大人は「他の人間と同じ道を走れ!」と命令し、道を外れれば首根っこを掴んで無理矢理もとの道に戻した。

先生は他の人達とは全く違う道を走っていた。

どこの道を、何を考えて走っていたんだろうか。

 

もしかしたら、僕たちに「他にも道はあるんだよ」と教えてくれていたのかもしれない。

 


そんな先生だったので、職員の中でも変わり者みたいに思われていたようだった。いつも一人だけ孤立しているような感じだった。

ルックスが当時世間を席巻していた連続幼女殺人事件の「宮崎勤」に酷似していたので、警察がアリバイ確認に来たことがあるらしい。
他の教師からも(やっぱり犯人はこいつか。)と思われていたのかもしれない。

 


ある年、体育をサボりすぎて僕の進級の単位が足りなくなった時、先生が一人で体育教師に土下座して許してもらった、という話を数日後に誰かから聞いた。

その時は、周りにいた体育教師達から相当酷いことを言われたと聞いていたのだが、先生はそんな事は僕には一言も言わず、いつものように変わらず笑っているだけだった。

 


すごい大人だと思った。

 

僕は当時、大人のことが嫌いだった。というか「嫌い」を通り越して、どうでも良い存在だった。僕の世界には「大人」はいなかった。

いつも僕の世界に入ってくる大人達は、無理やり扉をこじ開けて入ってくる人間ばかりだった。

 

先生は扉の前で、ただ待っていた。
僕が自分で扉を開けるのを、待っているだけだった。

 

そして先生は、何もしないでいることが「罪」になるということを体を張って教えてくれた。言葉なんかではなく自分の体で教えてくれたのだ。

大人なんか嫌いだと言って勝手に殻に閉じこもっていた僕は、一人では何もできないただの子供で、僕の知らないところで大嫌いな大人達が力を貸してくれていて「僕」という人間が存在できていることを知った。

 

そんなことを、いつもはゆっくり寝ているはずの屋上や保健室のベッドの中で考えていると、悔しさと不甲斐なさ、そして先生への申し訳なさで涙が出た。

 


しかし、そんな先生に対してもレスポンスが劇的に低かった僕は、3年間を通しても、ほとんど本音で話をすることはなかった。

 

でも一度だけ「卒業したら東京に行きたい」という相談をした時、
先生はいつもと同じように「そうか。」と言って、いつもより少しだけ嬉しそうに笑った。

 


よく、私の人生を変えた恩師の言葉みたいな話をよく聞くが、そんな名言はいただけなかった。

唯一、覚えているのは、「若いころ、一週間くらい徹マンを続けたら死にそうになった。どうも人間は寝ないと死ぬらしい」というような、残念な迷言しか記憶にない。

しかし、その頃の僕に、一生心に残るであろう贈る言葉などを伝えても、たぶん5分で忘れてしまっただろう。

 

先生から、高校の3年間を通して何かを徹底的に叩き込まれた覚えはないが、言葉ではない何かがいつの間にか僕の体に浸透していた。

 


十代とは、大人になってからの何倍にも濃縮された時間が詰め込まれている。

残念ながら僕の10代は、半分以上寝て終わってしまった訳だが、起きている間のほんの僅かな時間の、ある出会いにより僕の自己は形成されてしまったような気がする。

 

数十年前経った今、自分の人生を振り返ってみると、岐路に立たされる度に先生の顔が思い浮かぶことはないが、「こっちだよ」と呼び掛ける声がして、その選択した道は決まってマイノリティ側だ。

 

もしかしたら今僕は、あの時の先生と同じ道を走って、同じ景色を見ているのかもしれない。

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昔の僕はボンクラだった。何十年か経った今でも成長している感じはしないので、たぶん今もボンクラなんだろう。

今の若者を見ていると何だか昔の自分を見ているような気持ちになって、昔のことを思い出したりする。

 

彼らにもいい出会いがあれば良いなと思う。

 


そして、あらためて自分の過去を振り返ってみると「高校の頃の僕って、いい所一個もねーなー!!」ということに気づいてしまった。

 

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