透明人間

建築の学校をギリギリの単位で卒業した僕は、たいした就活もせず内装建築の会社に入社した。

大阪に本社があり自社工場も岡山にある会社で、当時はまだバブルの名残があった建設ラッシュの東京で、新宿都庁や赤坂TBS、聖路加タワー、JT本社、恵比寿ガーデンプレイスキリンビール本社、テレコムセンターなどの大きな現場から一般のオフィスビルまで、主に内外装のスチール製品を扱っていた。

 

大阪の本社で入社式を行った後、上野支店の施工管理部の配属になった。新入社員は、明日からしばらく教育担当の先輩社員と行動しながら仕事を覚えるように部長から言われた。

 

僕の教育担当は「水沼さん」という人で、その日はちょうど現場に出ていたので会えなかったのだが、話ではかなりクセのある人物のようだった。

寮で同じ部屋だった先輩の岡さんに、どういう人なのか聞いてみると「ヤバい人」と言われ、営業の目黒さんは「人間じゃない」と答えた。

 

僕の中の水沼さんのイメージは一晩で大きく膨らみ、最終的に「安岡力也」の様な強面のおじさんに辿り着き、ヘコんだ。

 

次の日に出社すると、その日も水沼さんは現場に出ていた為、水沼さんがいるという霞ヶ関の高層ビルへ担当設計士の佐桑さんと一緒に向かった。
現場に着くと佐桑さんは設計の打ち合わせに事務所へ行ってしまったので、水沼さんを探しに一人で初めて現場に入った。

 

竣工前の建設中の高層ビルのフロアでは、大勢の人達が大きな音を立てながら一心不乱に作業をしていた。

 

職人や現場監督の怒鳴り声、地響きのようにフロアに鳴り響く工事の音、慌ただしく走り回る搬入業者など、皆一様に時間に追われていてピリピリした空気が漂っていた。

 

「人を探す」という仕事しかない新人を拒絶するような、圧倒的な雰囲気に一瞬で飲まれた僕は、何故か居てはいけないような気がした。

 

邪魔にならないように気をつけながら慣れない現場を探し回っていると、足場の上で作業をしている会社の職人を見つけた。
足場の下で大きな声で作業員に指示出しをしている人がいて、一目見た瞬間わかった。

 

水沼さんだ。

 

水沼さんは、安岡力也には全く似ていなかったが、安岡力也の数倍こわい顔をしたおじさんで、ヘルメットの下からちらりと見えた髪型はパンチパーマだった。作業着を着ていなければヤ◯ザにしか見えないだろう。

 

一気に緊張が高まった。

 

「新入社員の渡辺です。」と挨拶をすると、水沼さんは「おう。よろしく!」と言い、握手した手はグローブのようにデカく、手の骨が砕けるかと思うほど力強かった。

 

水沼さんは僕に構わず職人に指示を出し続けていたので、そのまま作業を見ていた。

職人は5人いて、その中でも新米っぽい職人がたびたびミスをして、その度に水沼さんに怒鳴られ、グローブのような手で頭を引っ叩かれていた。

 

新米の職人は怒られ慣れているようで、殴られても何のリアクションもなく作業を続けていたんだが、遠くないであろう自分の未来の姿と重なって、その場から走って逃げ出したくなった。

 

そして2時間ほど経った時、ある衝撃的な会話を耳にしてしまった。

 

水沼さんを探しに来たゼネコンの現場監督が、

「武田さ〜ん、事務所に電話だよ!」と水沼さんを呼んだのだ!

 

水沼さん(?)は「おう。今行く!」と言って事務所に行ってしまった。

 

・・・・・・あれ?

 

誰だったんだ!?さっきの、おっさん。

 

作業していた職人に「あの〜、さっきの方は?」と聞くと、

 

職人は「え?武田さんだよ。」と答えた。

 

「あの〜、水沼さんって人は?」

 

「あ〜、みっちゃんなら上の階だよ」

 

「・・・・・・・・」

 

武田さんは、うちの会社の下請けの職人の親方で、僕はずっと人違いをしていたのだった。

 

 


すぐに走って上の階に行った。今日、新人が行く話は伝えてあるので、きっと待ってるはずだ。何時間も下で作業を見ていたので大分遅くなってしまった。もしかしたら怒っているかもしれない。

 

近くにいた職人から、水沼さんの居場所を聞いた。

 

職人が「あそこ」と指を指した先に、物凄い音でドリルを使ってコンクリートに穴を開けている職人のすぐ横で、顔の上に開いた文庫本を載せて寝ている人がいた。

 

近くに行き「すいません。」と、かけた声は近くで作業していたドリルの音にかき消された。少し大きな声で「すいませ〜ん」と言ったがまだ聞こえていないようだ。肩を叩いてみたがそれでも起きなかったので、ちょっと揺すってみるとお腹の前で組んでいた手が解けて、片手がブラーンと下に垂れた。

死んでるのかと思って驚いて「すいませ〜ん!!」と、大きな声をかけながら両肩を掴んで強く揺すると「なんだよっ!!」と、水沼さんはビックリして上半身を起こした。

 

1か月くらい剃ってなさそうな無精髭で、エレカシのボーカルのようなボサボサ頭の水沼さんは、体育会系の現場には不釣合いな、どちらかというと売れない小説家のような雰囲気の、安岡力也の10分の1位しかなさそうなガリガリに痩せた男性だった。

 

僕が挨拶すると、水沼さんは、「あ〜、聞いてるよ」とメンドくさそうに言いながら横になると「二日酔いなんだわ。」と言ってまた寝てしまった。

 

二日酔いなのに、こんなうるさい所でよく寝れるな、と思いながらも、仕方ないので所在なく現場をフラフラしていると、下の階で作業をしていたさっきの親方がやってきた。

 

親方は僕に「起きねーだろ?」と言って、水沼さんの所に行くと「おい、みっちゃん起きろ!!」と、寝ている所を乱暴に蹴り飛ばした。

 

水沼さんは「痛ってーなー!」と親方を睨みつけながら不機嫌そうに起き上がると、「コーヒー買って来て」と、寝起きのガラガラ声で僕に言った。

親方は「こんなとこで寝てられるの、この人だけだから。」とガッハッハと笑った。

 

 

仕事量は完全に許容量を超えていた。

設計士との打ち合わせ、ゼネコン担当者との顔合わせ、工程の打ち合わせ、製品の発注、搬入の予約、打ち合わせ、搬入業者への指示出し、立ち合い、検品、施工業者の手配、見積もり、職人と打ち合わせ、工事の立ち合い、進捗状況の確認、ゼネコンへの報告、手直しの依頼、etc、時には自分で図面を引いたり、施工の手伝いをする事もある。

 

そんな現場が新しく次々と入るので、仕事が終わるのはいつも終電近くで、徹夜や休日出勤も多かった。

 

大きな現場をいくつも抱えていた水沼さんも新人教育などする余裕はなく、僕は一人で現場に放り出された。

 

「仕事は現場が教えてくれるから」と、水沼さんが言った通り、右も左もわからなかった僕は毎日追い込まれ、職人やゼネコンの現場監督に怒られながら仕事を覚えていった。

 

 

なんの問題もなく現場が進むことを前提として、工事の工程が組まれ図面が出来るので、なんの問題も無いはずの現場を陰で仕切る管理の仕事は結果が形として残らず、報われることはない。

怒られることはあっても、褒められることはない。

と、愚痴を言う暇もなく、次々と入る新規の仕事が考える時間を与えない。

 

 

水沼さんは、仕事、そして酒とギャンブルに取り憑かれていた。

 

毎日仕事が終わると飲み屋か雀荘に行き、サウナや会社に泊まる生活をしていた。

家が無いのでは?と噂されていたほど、ほとんど家に帰ることは無かった。

 

水沼さんの行きつけのスナックに行った時、ママは酔いつぶれて寝てしまった水沼さんを哀れむような目で見ながら「この人、なんのために仕事してんのかね〜」とボソッと言った。

 

僕も、その時はそう思った。

 

 


透明人間

 

一人で仕事ができるようになった頃、僕の担当していたある現場が難航していた。

 

西新宿のオフィスビルで各階のスチール製品と、建物のメインとなる1階の大きな柱を覆う円柱のパネルを、うちの会社が担っていた。

円柱パネルは、傷がつかないよう一番最後に工事する段取りだったのだが、カーブの部分がなかなか合わず、2回も工場へ送り返されていた。

 

1回目の時はゼネコンの担当現場監督にもまだ余裕が合ったようで、苦笑いで済んだんだが、2回目に直してきた製品が合わなかった時は、工期が迫ってきていることもあって、笑い事では済まなくなっていた。

 

現場監督から「ちゃんとせ〜よっ!!」と怒鳴られたが、その現場監督も上司から怒られ、裏で殴られているのを見ていた僕はただ謝るしか無かった。

 

もう失敗は許されない。次も合わなかったら竣工日が完全に過ぎてしまう。

 

結局、岡山の工場から人を呼び実際に現場を見てもらい、設計士も岡山の工場へ送りこんで、最初から作り直す運びとなった。

 

計画と搬入工事日を現場監督に言うと「いい加減、頼むわ〜」と泣きそうな顔で言われたが、間に合うとわかると少しホッとした様子で、何とか以前の様な和やかなムードに戻ってくれた。

 

そして、無事製品が出来、予定の日に搬入できることになったのだが、あろうことか僕はその日、風邪を引いてしまった。
高熱があり、とても動ける状態ではなかったので、仕方なく職人に任せて現場には行かなかった。

 

もしかしたら、どこかで(行かなくても大丈夫だろう)という気持ちがあったのかもしれない。

 

 


次の日、会社に行くと事務の女の子が慌てながら、「ナベちゃん、昨日、新宿の現場監督が凄い剣幕で「渡辺を出せ〜!!」って、怒って電話して来たよ!」と言った。


「モノはバッチリ合っとったらしいんやけどなぁ・・・色が違っとったらしいわ。。かなわんでホンマ。」

職人から事情を聞いていた部長は、他人事のように僕に言った。

 

マジか!!休んでいる間、かなりヤバい状況になっている!

 

今すぐ走って現場に駆けつけるべきなのだが、事務の子の慌てぶりから想像すると、先方はメチャクチャ怒っているようだ。

 

できれば、上の人間も一緒に連れて行きたい。

 

いつも、ヒマそうにしている部長が適任だろう。
というか、他にヒマそうにしている人は社内にはいない。

 

ゴルフ雑誌を読んでいた部長に目で訴えてみた。

(一緒に行ってください!)

 

すぐに僕の訴えを察知した部長は、ページをめくりながら言った。

「俺は行けへんぞ。他に仕事があんねん」

 

・・・ダメだ。この人に頼ろうとしていた僕がバカだった。

 


僕は、あきらめて「タバコ吸って来ます」と言ってベランダに出た。

 

外は悲しいくらい気持ち良い晴天で、タバコの煙が深いため息とともに吐き出された。

 

何も考えられず、ぼんやりと空に溶ける煙の行方を眺めていると、部長から死刑執行人役を言い渡された水沼さんが来て、僕の肩に手を当てて優しい声で言った。

 

「ナベ、死んでこい」と。 


重い体で準備をしてエレベーターを待っていると、後ろから視線を感じた。

 

振り返ると部長がこっちを見ていて、無言でガッツポーズをした。

 

僕は、(いつも一番ヒマそうにしてるくせに、何で今日だけ仕事があんねん!オマエも来いや!!)と心の中で叫びながら会社を出た。


山手線から中央線に乗り換えた。新宿に近づくにつれ体が重くなる。

 

駅から現場まで歩く足取りは、次第にゆっくりになっていき、現場が見えた時ついに足が止まった。

 

(消えて無くなりたい。透明人間のようになれたら楽なのに)と思った。

 

いや、このまま逃げちゃおうか。

 

そうだ、彼女を誘って湘南へ行こう。

 

浜辺でゴロゴロして昼寝でもしよう。

 

海鮮丼とビール飲んで、そのあと温泉でも行こうか。

 

なぜか、数日前どうでもいことでケンカして、それから口を聞いていなかった彼女の声が聞きたくなった。

 

今だったら素直に謝れる気がする。

 

これも、現実逃避の一種なんだろうか。

 

などと、しばらくその場に立ち止まって考えていたんだが、最後は諦めた。

 

遅くなれば遅くなるほど事態は悪化する。

 

遠隔操作されるラジコンロボットのような体だけが、その場で動けずにいた僕の中身にコントロールされ、ゆっくり現場に向かって歩いていった。

 

緊張しながら、事務所に入ると現場監督がいつもの席に座って仕事をしていた。

 

机に立てかけられていた、でかいハンマーを見た時、

(あ〜なるほど、そのでっかいハンマーで僕の頭をかち割る訳ですか。準備万全じゃないっすか〜!)

 

と、殴られる前から殴られた後になるであろう、おかしなテンションになり、5分後の自分の姿を想像すると力が抜けた。

 

(もう、どうにでもしてくれ)

 

フニャフニャの状態で監督の元へ向かい、電車の中で1000回くらいイメトレした通りに「すいませんでした!!」と、頭を下げると

 

「・・・・・・」

 

あれ?シカト?

 

「あの〜・・・この度は・・大変ご迷惑をかけて・・・」

 

「・・・・・・」

 

リアクションが全くない!

 

もしかして、本当に透明人間になってしまったんだろうか!?

 

と思った瞬間、現場監督は机に置いてあったヘルメットを持ち、立ち上がると

 

「この、ダボォッ!!!」

 

と、何語なのかよくわからない言葉を発しながら、ヘルメットで僕の頭を思い切り殴った。

 

もちろん、僕もヘルメットを被っていたのだが、十分すぎるほど痛く、しばらく目がチカチカした。

 

その後、1日かけて現場をくっついて回り謝り続けると、日が暮れかけた頃ようやく一人の人間として話をする事を許してもらった。

 

 

這う這うの体で現場を出ると、さっき置き去りにしていたラジコンロボットの中身はおらず、いつの間にか僕の体の中に戻ったのだろうと思った。

     


他の現場を回って会社に戻った頃にはだいぶ遅い時間になっていたが、会社の電気はついており、中に入るとみんな待ってくれていて、冷え切っていた心が少し温かくなるのを感じた。

 

いつもは定時で帰ってしまう部長まで残っていて、「戻りました」と言うと「お疲れさん。まあ一杯やれや」と缶ビールを渡された。

 

その場で立ったまま一気に飲み干すと、抑えていた涙が溢れ出した。

 

部長にそこまでの経緯を話していると、他の部署の人たちも僕の話を聞きに集まり、ヘルメットで殴られたくだりを話した瞬間、みんな爆笑した。

 

水沼さんは「これで、ナベも一人前だなあ!」と笑って言ったが、これが一人前なのか?と僕は神経を疑い、会社の将来を不安に思った。

 

しかし、実は僕が現場監督に殴られている時、部長も現場に来ていて所長と話をつけており、水沼さんは工場に電話して塗装班を怒鳴りつけ東京に向かわせる段取りをしていたらしく、最終的に丸く収まったのは僕が現場監督から殴られたおかげではないとわかった時、改めて自分の小ささを思い知った。

 

そしてその時、水沼さんが取り憑かれたように仕事をしている理由も少しわかったような気がした。

高円寺

上京して高円寺の叔母の家に下宿していた僕は、学校の帰りに商店街のレンタルビデオ屋でバイトをしていた。

 

大体いつも同じメンバーだ。

 

フリーターのNくんは僕より2つ年上のフリーターで、あまり仕事はしない。
いつも店のテレビで映画を観ながら客やスタッフとおしゃべりしており、そっちの方がメインの仕事のようだった。

 

店長の前でも終始ダラダラしているが、キレイな女性客が来店すると、人が変わったように積極的に動き始めるナンパ野郎だ。

 

サブカルチャーに造詣が深かったNくんから、beastie boys、KLF、public enemy電気グルーブ、UFO等のクラブミュージックや、
NirvanaレッチリMy Bloody Valentine、Jesus and Mary Chain、Sonic YouthPrimal Scream、Flipper's Guitarなど当時出始めていたグランジやミクスチャーロック、
キューブリック、コッポラ、デビッド・リンチジム・ジャームッシュテリー・ギリアムマーティン・スコセッシ黒澤明、など新旧の映画の話をしてもらった。レコード屋もなかった田舎から出てきばかりの僕には全てが新鮮だった。

 

僕達はいつも店のビデオやCDを勝手に無料レンタルしては感想を言い合い、店に無いものは店長に頼んで発注してもらったりした。

レンタルビデオ屋は僕たちの宝庫だった。

 


デスメタルバンドのボーカルKは、全身タトゥーだらけで、顔や耳にもピアスや安全ピンやら、クギみたいなのまで刺さっている。顔のどこの部分が外れそうで補強しているのか知らないが、頭のネジは全部外れているらしく、いつも何を言っているのかわからない。

 

外に立ってるだけでお巡りさんから職質を受けるタイプの、どちらかというと宇宙人寄りの人間だ。

 

受付に立っていると、その風貌から客は一瞬たじろぐが、ディズニースタッフばりのスマイルで更に怖がられる。

 

Kはいつも金が無く、毎日いろんな人にお金貸してと言っていた。

バイトに初めてきた日も、3日間何も食べておらず今日食べれないと死ぬか強盗するしかない、と言うのでポケットに入っていた小銭(合計40円程)をあげると「ありがてぇ!」と言って、そのまま外に飛び出して行った。
しばらくすると、満足そうな顔をして帰ってきたが、40円で何が買えたのだろうか。

バイト仲間からは乞食と呼ばれていた。

 


アニメとAVのエキスパートはオタク族の大学3年生O(童貞)だ。

 

基本的にお風呂には入らない風習らしく、フケだらけで、いつもスッパイ匂いがする。

ブツブツと独り言を言っていて、あまり他のスタッフと会話することはないんだが、アニメの話になると鼻をフガフガ言わせながら興奮して喋り出す。

 

特に、18禁と書かれたカーテンの中は彼の聖地だった。
僕たちが勝手にいじくって適当に戻そうもんなら「なんで、女子高生の所に人妻のビデオがあるんだよう!!」とキモい怒り泣きをするので、みんなから恐れられていた。

 

普段はおとなしいが、観たいビデオ(AV)があると店長に「頼むから入荷してくれ!」と直談判するなど、時に熱きパッション(性欲)を弾かせる事もある、さわやかな好青年だ。

 


バックヤードの奥の薄暗い所で、いつも帳簿をつけてるか、死んだように寝ている店長らしき人は、ほぼ毎日店にいた。

 

存在感が無く昼間も夜も同じところにいるので、本当は呪縛霊なのではないか、と噂されていた。

たまに外に出ると、フラフラしながら帰ってきて、目を押さえながら「眩しくて目が焼けるようだ。」と言っていたので、たぶんドラキュラの末裔だったのではないかと思われる。

 


そんなマンガみたいなヤツら現実的にいるのかと思うが、僕のような無個性な人間の方が目立つ程、当時の高円寺には普通に沢山いた。

もちろん、そんな動物園のような店は上手くまわる筈もなく、程なくして本店からテコ入れが入った。

 

ある日、出勤するとドラキュラ店長はおらず、本店から代わりに来たという新しい店長がやってきた。

やけに声が大きいハキハキとした体育会系の若い新店長は、これからは接客面を強化すると言い、ぬるま湯状態だった店舗の雰囲気は一変した。

 

Nくんやデスメタルや他のバイトの人達は、バルサンに焚かれたゴキブリのように、逃げるようにいなくなった。
Nくんに、時給1700円のレンタルビデオ屋を見つけたから一緒に行こうよ、と誘われたんだが怪しすぎたので断った。

 

最も遅刻欠勤が多く、一番早く辞めそうだった僕は何故か残っていた。

 

新店長の顔には「なんで、こいつが残ってるんだ!?」と書いてあったが、天然のKY&BK(空気読めない&バカ)だった僕には、店長の顔に書いてある文字を読み解く能力はなく、またそんな事以上に辞めるわけにはいかない、どうしようもなく浅はかでのっぴきならない事情があった。

 

慢性的に彼女がいなかった僕は、新しい店長が来る少し前に入ってきた女子大生のSちゃんの事が気になっていた。いや本当の事を言ってしまえば、Sちゃんの事ではなく"Sちゃんの豊満なボディ"の事が気になっていた。(最低なヤツ)

 

仕事中は、用もないのにSちゃんの周りをウロウロまとわりつき、シフトも同じ日になるように勝手に調整したり、休みの日に出掛けて行き、Sちゃんが帰る時間を見計らって「出待ち」をするなど、ストーカーのようなアプローチを繰り返していた。

 

そんなナイーブな僕の心情など知らない新店長は一方的に改善策を打ち出していった。

 

出勤するとまず、店の端っこに立ち「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」と大きな声で挨拶をし、声が小さいと何度もやり直させる「声出し練習」が始まった。

 

居酒屋じゃないんだから、レンタルビデオ屋でそんなデカイ声で接客されたら逆にうるさがられるだろうが、体育会系の新店長は脳ミソまで筋肉で出来ていたのだろうか。

 

しかし、生まれてから走ったこともないようなサブカル系の人達が、そんな体育会系のノリについていけるはずもなく、声出し練習をしているのは数日後には、一番年下の僕と新人のYくんだけになっていた。

 


色情狂とアルパチーノ

 

ある時、棚のビデオの掃除をしていると、Sちゃんから「ナベくん、がんばってるね!」と声をかけられ「そんな事ないよう」とヘラヘラ笑いながら答えた。

 

すぐにSちゃんは店長に呼ばれて奥の方へ行ってしまったんだが、僕は「そんな事ないよう」の「よう」の口のまま、その時ハタキを掛けていた「ゴッドファーザーPartⅢ」のアルパチーノと目が合った状態でフリーズしていた。

 

その間約数秒、僕の眉毛がピクッと動いたほんの0.000何秒の間、頭の中の(自称)スーパーコンピュータが、Macを立ち上げる時に出る「ジャーン」という音と共に立ち上がると、ものすごい勢いで計算し始めた。

 

「頑張ってるね!」≒「カッコいいね!」∵ (-9){(πi)+(πi)²/2!+(πi)³/3+(πi)⁴/4!+8(πi)³ +(πi)+(目が合う頻度)⁵/5z+(πi)⁶/6r+(πi)⁷/7!+(πi)⁸/8!+(πi)⁹/9!+(πi)⁴+(接触回数)¹⁰/10!+ (パイi) ⁷+(πi)³/3+(πi)⁴/r+(πi)⁷/7!+(πi)⁸/8!+(πi)⁹/9!+πi)+(πi)¹⁰/1+ オッ+(パイi) 4+(πi)¹⁰+(πi)³+(πi)⁴(オッパイ)⁵/5z+(πi)⁶ +(触りたい)⁷/7!+(πi)⁸/8!(πi)⁹/.......}

=「イケる!」

 

・・・・何が「イケる!」のか知らないが、
最終的に「頑張ってるね!」=「イケる!」という中学一年レベルの答えに落ち着いた。

その時の僕に、「頑張ってるね!」≒「カッコいいね!」の段階で大きな間違いを犯している事や、計算式の中に「オッパイ触りたい」というただの欲望が入っている事を教えてくれる人は誰もいなかったが、ビデオのパッケージの中で自信満々な顔をして僕を見ていたアルパチーノは「イケるだろ!!」と言っていた。

 

そんな大事件(僕にとっては)から、僕は顕著に張り切りだした。

 

遅刻や欠勤はめっきり減り、外の自転車整理などをやる僕を見てバイト仲間は気味悪がったが、僕にはSちゃん(のオッパイ)しか見えていなかった。

 

しかし、原動力が下心しかないモチベーションがいつまでも続くわけがなく、ついに僕だけになってしまった店長とのマンツーマンの「声出し練習」は、次第に「ふざけ」の割合が強くなっていった。裏声で「いらっしゃいませ〜」といってみたり、金八先生のマネをして「ありがとうございました〜」と、最終的になんの練習なのかわからなくなっていった時、客から「うるさい!!」というクレームが入り、程なく終了した。

 

体育会系の新店長の改善プランは無残な結果に終わってしまった。
そしてまた以前のようなダラダラした店に戻ってしまうと、あっという間に店の閉店が決まり、Sちゃんもオランダに留学すると言って辞めてしまった。

 

恋も仕事も結局なんの発展もないままだったじゃないかよ!と思いながら、「ゴッドファーザーPartⅢ」を観てみると、はしゃいでたヤツ(アルパチーノ)が地獄に落ちるというストーリーで、救いようのない結末に笑うしかなかった。

パッケージの中のアルパチーノから「ご愁傷さま」と言われているようで、本当に悪いヤツだな!と思った。

 


携帯電話もスマホもなかった90年初めの高円寺は今より少しだけ原始的で、個性が強すぎたり、使い物にならない若者が掃き集められるゴミ箱のような場所だった。

 

売れないバンドマンや芸人、絵描き、役者の卵、オタク、チンピラ、外人、浮浪者

みんな一様に金はなく、落ちている小銭を探すようにウロウロ歩きながら、「知りたい」「欲しい」「食べたい」「ヤリたい」「売れたい」「付き合いたい」と、今より少しだけシンプルで純粋な欲望が渦巻いていた。

 

みんな元気かな、とあの頃の人たちを思い出すことはないが、生きていればいいなと思ったりする。

 


辞めてから何年か経ったある日、新宿のライブハウスでデスメタルのKに偶然会った。
前よりも顔の部品が増えていたKは、僕を見つけると「ナベちゃ〜ん、お金貸して〜!」と言って、昔のように笑いながら駆け寄ってきた。

僕はポケットの小銭を上げ、ちょっとホッとした。

大人と子供

学生時代のことを書いてみようと思って記憶を遡ってみたんだが、悲しいことにあまり思い返すことがない。

 

中学の時はバスケをやってた記憶しかないし、高校の時は寝てばかりいたので、ほとんど覚えていない。

高校時代はとにかく一日中眠たかった。夜9時間くらい寝ていたにもかかわらず、日中も、授業中、休み時間、昼休み、放課後、いつも眠かった。そして、教室、部室、屋上、保健室、中庭、所構わず寝ていた。高校3年間で、一生分の睡眠時間は消化してしまったんじゃないだろうかと思うほどだ。
「寝る子は育つ」という諺が本当だったら、たぶん高校卒業時には僕の身長は5メートルくらいになっていたはずだ。

 

下級生から好意を持たれた時でさえ「毎日、庭で寝ているのを見ていて・・」とか「保健室でいつも寝てるね」などと、同じようなことを言われた。まるで病人だ。
いつも病人のように寝ているヤツを好きになるのもどうかと思うが、あまりに寝過ぎていたので無意識のうちに寝ている姿までも様になってしまっていたのだろうか。

 

 

当時の僕は教師達からは嫌われていたような気がする。いや、たぶん嫌われていたんだろう。

なにか陰のある不良とか、憎めない悪ガキとか、体制に物申す反逆児みたいな生徒は、怒れば何らかのリアクションがあるが、
僕みたいな、陰もなければ思想も反抗心すら持ってない、ただいつも寝ているようなヤツに怒ってみても「はぁ。」とか「へぇ。」とか、聞いてるのか聞いてないのかよくわからない顔して返事するだけで何の手ごたえもない。言うだけ無駄だ、と思われても仕方がない。

 

 

着替えるのが面倒くさいという理由で体育をよくサボっていた僕は、体育教師からは特に嫌われていた。

 

こんなこともあった。
いつもの様に全体朝礼をサボって一人で教室の机で寝ていると、教師が見回りに来た。
柔道何段とかの強面の体育教師だ。

誰もいない教室で机に突っ伏して寝ている生徒をみたら、普通だったら具合が悪いのか、などと聞くんであろうが、その時僕を見つけた強面教師はいきなり後ろから襟首を掴んで起き上がらせるとなにも言わず投げ飛ばした。
その上、ビンタまでされ、倒れた机を直させると後ろから頭をバコンとはたかれて体育館に向かわされた。

 

そんな目にあった後でさえ、チクショウとかあのヤロウとも思わず、ただ「いって〜。」だけである。ダメなヤツだ。

 

 

そんな感じの生活がダラダラと続くと、いつの間にか僕は3年生になっていて、周りが進学やら就活やら教習所やらでザワザワし始めてきたころ、ようやく長い冬眠から覚めた。

 

次の進路を決めなくてはいけない。いつまでも教室で寝ているわけにはいかないのだ。

 

しかし、特に将来やりたい夢なんかないし、もちろん勉強もしてなかったから大学に行く気もない。
周りの友達が次々と進路を決めていく中、何となくぼんやりと将来の事を考え始めた。

 

 

いつもは爆睡しているはずのいつもの場所で、ゴロンと横になって未来の自分を想像していると、何も考えず寝てばかりいた僕の事を、何も言わず温かい目で見てくれていた「大人」がいた事に気付いた。

もちろん親もそうなんだが、3年間担任だったO先生だ。

 


先生は生徒が何をしても怒らなかった。生徒がタバコを吸おうが、授業をサボろうが絶対に怒らなかった。
特に問題児が多かったクラスだったので他の教師からのバッシングは相当あったはずだが、生徒の前では声を荒げることなく、いつも笑っていた。

 

友達と一緒に授業をサボると、溜まり場だった僕の家に先生から電話がある。

毎回、同じ会話だ。

「今日、どうした?」
「ちょっと具合が悪くて」
「そうか。◯◯と◯◯は一緒か?」
「いないよ(嘘)」
「そうか。明日は来いよ。」
「はーい」

「◯◯達にも言っておけよ」
「・・・・」(バレてたか。)

たぶん先生は、その時サボってた奴らの出席欄には、勝手に全部◯を付けてたはずだ。

 


先生はいつも派手な色のシャツに短パンという、ジョギング好きのアメリカ人みたいな格好で、学校の周りを一人で毎朝ジョギングしていた。

海と山しかないような田舎町で、そんなファンキーな人間が毎日走ってたら、さぞ目立ったと思うが、全く周りの目を気にしていない様子で黙々と走っていた。

 

先生は、今まで会ってきた大人とは、違う種類の大人だった。

僕が知っている大人は「他の人間と同じ道を走れ!」と命令し、道を外れれば首根っこを掴んで無理矢理もとの道に戻した。

先生は他の人達とは全く違う道を走っていた。

どこの道を、何を考えて走っていたんだろうか。

 

もしかしたら、僕たちに「他にも道はあるんだよ」と教えてくれていたのかもしれない。

 


そんな先生だったので、職員の中でも変わり者みたいに思われていたようだった。いつも一人だけ孤立しているような感じだった。

ルックスが当時世間を席巻していた連続幼女殺人事件の「宮崎勤」に酷似していたので、警察がアリバイ確認に来たことがあるらしい。
他の教師からも(やっぱり犯人はこいつか。)と思われていたのかもしれない。

 


ある年、体育をサボりすぎて僕の進級の単位が足りなくなった時、先生が一人で体育教師に土下座して許してもらった、という話を数日後に誰かから聞いた。

その時は、周りにいた体育教師達から相当酷いことを言われたと聞いていたのだが、先生はそんな事は僕には一言も言わず、いつものように変わらず笑っているだけだった。

 


すごい大人だと思った。

 

僕は当時、大人のことが嫌いだった。というか「嫌い」を通り越して、どうでも良い存在だった。僕の世界には「大人」はいなかった。

いつも僕の世界に入ってくる大人達は、無理やり扉をこじ開けて入ってくる人間ばかりだった。

 

先生は扉の前で、ただ待っていた。
僕が自分で扉を開けるのを、待っているだけだった。

 

そして先生は、何もしないでいることが「罪」になるということを体を張って教えてくれた。言葉なんかではなく自分の体で教えてくれたのだ。

大人なんか嫌いだと言って勝手に殻に閉じこもっていた僕は、一人では何もできないただの子供で、僕の知らないところで大嫌いな大人達が力を貸してくれていて「僕」という人間が存在できていることを知った。

 

そんなことを、いつもはゆっくり寝ているはずの屋上や保健室のベッドの中で考えていると、悔しさと不甲斐なさ、そして先生への申し訳なさで涙が出た。

 


しかし、そんな先生に対してもレスポンスが劇的に低かった僕は、3年間を通しても、ほとんど本音で話をすることはなかった。

 

でも一度だけ「卒業したら東京に行きたい」という相談をした時、
先生はいつもと同じように「そうか。」と言って、いつもより少しだけ嬉しそうに笑った。

 


よく、私の人生を変えた恩師の言葉みたいな話をよく聞くが、そんな名言はいただけなかった。

唯一、覚えているのは、「若いころ、一週間くらい徹マンを続けたら死にそうになった。どうも人間は寝ないと死ぬらしい」というような、残念な迷言しか記憶にない。

しかし、その頃の僕に、一生心に残るであろう贈る言葉などを伝えても、たぶん5分で忘れてしまっただろう。

 

先生から、高校の3年間を通して何かを徹底的に叩き込まれた覚えはないが、言葉ではない何かがいつの間にか僕の体に浸透していた。

 


十代とは、大人になってからの何倍にも濃縮された時間が詰め込まれている。

残念ながら僕の10代は、半分以上寝て終わってしまった訳だが、起きている間のほんの僅かな時間の、ある出会いにより僕の自己は形成されてしまったような気がする。

 

数十年前経った今、自分の人生を振り返ってみると、岐路に立たされる度に先生の顔が思い浮かぶことはないが、「こっちだよ」と呼び掛ける声がして、その選択した道は決まってマイノリティ側だ。

 

もしかしたら今僕は、あの時の先生と同じ道を走って、同じ景色を見ているのかもしれない。

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昔の僕はボンクラだった。何十年か経った今でも成長している感じはしないので、たぶん今もボンクラなんだろう。

今の若者を見ていると何だか昔の自分を見ているような気持ちになって、昔のことを思い出したりする。

 

彼らにもいい出会いがあれば良いなと思う。

 


そして、あらためて自分の過去を振り返ってみると「高校の頃の僕って、いい所一個もねーなー!!」ということに気づいてしまった。

 

#エッセイ #コラム #教育 #学校 #青春 #ココロマッサージ

天国と地獄

誰しも若い時の苦い思い出はいくつかあると思う。

顔から出た火によって焼却してしまいたくなるような青臭い記憶も、年とともに良い思い出になるというが、その頃とあまり変わってない今に気付き、また記憶の蓋をそっと閉じて見なかったことにしたくなる。

 

さかのぼること、今から21年前。1997年の夏。

給料の全てをCDやライブなどにつぎ込んでいたため食べるものが無くなり、タンポポやぺんぺん草を食べながら、文字通り「草食男子」として20年ほど時代を先取っていた僕は、日本でロックフェスティバルをやるという記事を雑誌で見た。

当時日本でまだほとんど行われていなかったロックフェスに憧れていた。
海外で有名なフェスは、イギリスのグラストンベリーアメリカのロラパルーザなどで、ニルヴァーナやオアシス、レディオヘッドなど、その時代の最先端のミュージシャンが挙って出演していた。

しかし、雑誌に書いてあった日本で新たにやるというロックフェスの名前を見て愕然とした。

 

フジロックフェスティバル

正直、名前ダサいと思った。

フジという言葉にはロックの匂いが感じられず、ロックフェスというより、まるでフ◯テレビが主催する金儲け主義のコンサートのようだ。

どうせ、薄っぺらいミュージシャンしか出ないやつだろうな、と思いながらラインナップを見てみると
rage against the machine
beck
prodigy
massive attack
そして、当時擦り切れるほど聴いていたred hot chili peppers(通称レッチリ)がヘッドライナーだ!
ワンマンでライブをすれば、大きなホール級のライブ会場でも数分でソールドアウトしてしまうようなバンドの名前がずらりと並んでいた。

 

流行やブランドに極めて弱かった僕は、一瞬で手のひらを返した。

 

程なくして、同じくレッチリファンの友人Kと初めてのロックフェスに行く準備を始めた。

 

 

当日の天候は、会場となる富士天神山スキー場付近に台風が直撃する予報だった。

 

山の天気は荒れる。

多分、現地の人からは無謀だと思われただろうが、フェスは予定通り行われた。

高地は夏でも冷えるという前情報があったにもかかわらず、日本の夏は隈なく暑いと思い込んでいた僕たちは完全に山をなめていた。

 

KはジーパンにTシャツ、手ぶら。
僕は短パンにTシャツ、ビーサン。もちろん手ぶらだ。

バカ二人は、湘南に行くスタイルで富士山に向け出発した。

 

会場までの道中は、ベースのフリーがヤバイとか、ギターのジョンのリフが渋いとか、大好きなレッチリの話を女子高生のようにキャーキャー騒ぎながら移動していた。

そして、海水浴に行くようなテンションで会場に着くと、同じような格好をして同じようにはしゃぎまくっている外人やフジロッカー達が沢山いて、さらにテンションが上がりビールを飲みまくった。
(数時間後、このビールが僕たちの身に起きる悲劇の元凶になるともつゆ知らず。)

 

日中はまだ良かった。雨は少しパラつく程度で寒くはない。
ビールを飲みながらいろんなライブを見て、フェスの空気を楽しんでいた。

しかし、日が沈むにつれ徐々に雨と風が強くなり少し肌寒くなってきた頃、異変が起こり始めた。

 

Kがお腹が痛いと言い始め、頻繁にトイレに行くようになった。
しかも、やけに長い。
あきらかにビールの飲みすぎだろう。

だんだん待つのにも飽きてきて、一人で屋台などをふらふら歩き回っていると、いつのまにかKとは逸れていた。
携帯は繋がらず、探すのもめんどくさいので別々に行動することした。

 

日が暮れ雨風が強くなると、寒くなってきたので持ち歩いていたビールは捨てた。

 

ライブは後半に入り、レッチリの次に楽しみにしていたrage against the machineが始まった。嵐が更に強くなりかなり寒かったが外人ばかりのモッシュピットで、もみくちゃになりながら体を動かしていると汗をかくほど熱くなった。

ライブが終わって少し座って休憩しているとあっという間に体が冷たくなってきた。
汗をかいた分、さっきより寒い。

 

レッチリの前は日本のロックバンド、イエローモンキーだったが、その頃の僕には「テレビに出てるようなバンドはロックじゃないから絶対に見ないし、聞かない。」という、誰に対してのアンチテーゼなのかわからない変なこだわり(というかただの偏見)があり、当時テレビに出まくっていたイエモンは見ないとKに宣言していたので、次の出番のレッチリまで座って待つことにした。

しかし、大トリの前ともなると演奏時間はそれなりに長い。しかも、フェスは出演者ごと全器材を入れ替えるのでインターバルも長い。

 

早く終われと願う。

しだいに雨は強くなり横から殴られるような風吹でびしょ濡れになった。
メチャクチャ寒い。
多分、東京の12月くらいの温度だろう。しかも、短パンにビーサンだ。むき出しの足先はしびれ始めた。


主催者側からの毛布の配給や暖かい食べ物の屋台には長蛇の列ができていて、まわりを見渡すと雨をしのぐためゴミ袋や毛布を被り、寒さに凍えガタガタと震えているフジロッカーたちで溢れかえっていた。

 

災害の空気が漂い始めた。

まるで遭難だ。(みんな、勝手にいるだけなんだが。)

 

寒すぎて脳みそも凍結してしまったのか。
だんだん何をしているのか、わからなくなってきた。

 

もうダメだ! 帰ろう。寒すぎる。

rageのライブが終わって15分ほどしか経っていなかったが、札付きの寒がりで堪え性の無さも折り紙つきだった僕は、あと1分座っていたらコチコチの雪だるまになっていたはずだ。

 

さよなら、レッチリ

さよなら、K。(もう、探す気全くなし)

また、何処かで会おう。

 

ゾンビのように出口に向かって歩く敗者たちに促されるように、振り返ることなくバス停に向かった。

 

●●◯●◯●●●●◯◯●●●◯◯●●●◯●◯●

バス停に自販機があった。

ホットココアを買って飲むと少し体が内側から温まったが、またすぐに冷えて寒くなり、結局、三杯も飲んでしまった。

 

たぶん、その時の僕の膀胱はビールとホットココアでタプンタプンだったはずだ。
バスに乗る前にトイレに行っておこうと思ったが、今はとにかく寒い、早くバスに乗りたい、早く帰りたい気持ちの方が強くトイレのことは忘れていた。

やっと来たバスに乗り込みホッとするのもつかの間、出発して10分程経った時に体のある異変に気が付いた。

 

「ちょっと、オシッコしたいかも。。」

 

30分経った頃には僕の尿意は、チョットからケッコウをとうに通り越しており「ヤバイ」までに達していた。

出発してからまだ30分位しか経っていない。高速道路に入ったばかりだ。富士山から新宿までの途方も無く長い道のり、渋滞などもあるだろうし時間も相当かかるはずだ。

 

なんて所に来てしまったんだ。しかも、ビーサンで。

行く時はあんなに早かったのに、一向に進んでいる感じがしない。進まないバスに逆行するように加速する尿意。

 

気が遠くなる。

「ヤバイ、膀胱がはち切れそうだ!」

 

違うことを考えろ!

そうだ、フジロックの会場に着いた時の幸せな瞬間を思い返せ。

ビールを飲みながらほろ酔いで海外のロックバンドをのんびり聴いていた、ほんの数時間前の幸せな瞬間。

 

「・・ビール。」

ダメだ、「ビール」という単語はすでに「オシッコ」とリンク付けされており、思い出した途端、破裂寸前の膀胱に意識がいってしまう!

 

なんであんなに飲んでしまったんだ!ビールもココアも。オレはバカなのか?
なんでバスに乗る前にトイレにいかなかったんだ! 
遠足の休憩の時「トイレ、行ける時に行っておきなさい」と言っていた先生の声が頭の中で反響する。
30分前の自分の襟首掴んでトイレに連れて行きたい。

 

バスの中は補助席まで満員御礼のすし詰め状態でトイレはなく、途中休憩で止まる気配もない。

 

ダンスと寒さにより憔悴しきったロックキッズ達がひしめき合う車内はまるでお通夜状態だ。
咳払いやヒソヒソと話す声しか聞こえない静まり返った車内で「オシッコ漏れそうなのでどっかで止まってください!!」なんて大声でいう勇気もなく、バスの揺れとともに尿意が増幅していく。

 

もう、限界だ!!

 

「いっそのこと、漏らしちゃおうか。」

 

どうせ、雨で衣服もビチャビチャだし。

 

つまようじ程の太さになってしまった理性の柱がミシミシと音を立て始めた時、

 

「大丈夫ですか?」という声がした。

 

隣を見ると、20歳くらいのロッカー風のかわいらしい女子が覗き込むようにこちらを見ていた。

よほど具合悪そうな顔をしていたのか、それともマジでオシッコちびりそうな顔をしていたのかわからないが、その声が僕の折れそうな理性をギリギリの所で支えてくれた。

 

そして声をかけられた瞬間、僕はおかしな行動に出た。

抱え込んでイスに上げていた両足をおもむろに下ろすと
「大丈夫。全然」と言ったのである。

 

もちろん、全然大丈夫なんかではない!

「尿意」に「ええかっこしい」が勝った瞬間だ。

 

 

その後は地獄のようだった。

常に隣の女子に見られている視線を感じる。
もちろん、1ミリも見られてなどいない。
僕の過剰な自意識が作り上げた幻覚だ。

 

足を下ろした分、前よりもタプンタプンのココアビールが膀胱を刺激する圧が強くなり、もはや尿道括約筋の力だけではこいつを押さえつけておくのは困難だ。
周りの筋肉にも緊張が転移してきた。
しかも、常に視線を感じるので背中がピキピキだ。

 

(く、くるしい・・・・というか痛い)

 

まるで、生き地獄だ。

 

彼女の一言で状況はだいぶ変わってしまった。

隣に座ってるのが浮浪者みたいなおっさんだったら良かったのに、と思った。

たぶん、出発して10分で漏らしていただろう。

 

話などして気を紛らわせたかったが、表情筋を緩めた途端、僕の破裂寸前の膀胱は決壊するだろう。

 

想像してみた。

 

隣にいる知らない男と好きなバンドなどの話を和気藹々としていたんだけど、実はそいつがオシッコダダ漏れ状態だったとわかった時のことを。

 

"ショック!!バス中の惨劇!逃げ場のない密閉された空間の中、足元に徐々に浸食するオシッコの恐怖!"

隣に座っていたA子さんは当時の様子をこう語る
「なんか、へんだなぁ〜と思ったんですよ。最初は普通にお話ししてたんだけどぉ〜。なんか、ふと気づいたら床がビシャビシャに濡れてて~。え!?何処から?ってよく見たら隣の男の人のズボンもびしょ濡れだったの!で、顔見たらすごい形相で~!

あれからもう知らない男の人と話すのが怖くなってしまって、もう一生結婚できないかも・・・・」

・・・こわ〜。

ちょっとしたホラーである。

 

パニック状態の人間が陥る突飛な想像が、昼のワイドショーとしてアドレナリン絶賛放出中の脳内のテレビに映し出された。

若い女性にトラウマ級のショックを与えてしまう。

ああ、僕の想像力豊かな突飛よ。
このバスをトイレのある場所へ、飛ばしてくれ!

 

 

そして、出発してから約3時間。

最後は、あしたのジョーの最終ラウンドのような「こいつ、立ってるだけで精一杯なのに、どこにそんな力が!?」みたいな力が僕の尿道括約筋や仲間たち(他の筋肉)にみなぎり、なんとか終点の新宿まで乗り切ることができた。

 

ありがとう。僕の過剰な自意識。

ありがとう。尿道括約筋

 

新宿に着くなり、ペコっと頭を下げバスを飛び降りて猛ダッシュ眠らない街へ消えていった男、隣でずっとプルプルしてた男を見た時に、ロック女子は初めて気付くはずだ。

 

「あ、あの人トイレ我慢してたんだ。」と。

 

 

無事に用を済ませると、外はいつもの蒸し暑く騒々しい東京の夏の夜だった。
身体の内側にはまだフェスの熱狂が残っており、不思議とまたあの極寒の山へ戻りたいと思った。チケット代わりのリストバンドは、しばらく外したくなかった。

 

泥だらけで電車に乗ると、隣の車両にも同じように泥だらけでフジロックのリストバンドをしているタトゥーだらけの兄ちゃんがいて、目が合いお互い苦い顔で少し笑った。

 

「いろいろ大変だったけど、まあ楽しかったよね」と目が語っていた。

 

 

後日談

結局、お腹を壊したKは何時間もトイレにこもっていたらしい。
しかし、トイレの中で体力を温存していたのか、レッチリはしっかり観れたらしく、後で「レッチリ観ないで帰ったの!?ありえねえ〜!」とか言われ、お前が言うなよ!と思ったが言葉には出せなかった。

 

 

そんな、どうでも良い話を思い出し、
どうでもいいことばっか覚えてるな。

と、思った今日この頃。

 

この世界の片隅に

先日、子供と「この世界の片隅に」というドラマを観ていた時に「センソウって何?」と聞かれて、返答に困ってしまいました。

一瞬「殺し合い」というワードが頭に浮かびましたが、小学1年生の子供にはとても言えることではないので、「国と国が戦うことだよ。」と答えておきました。

たぶん今は、スポーツの戦いみたいな意味合いとして認識しているんだと思いますが、そのうち学校でも習ったりしながら「センソウ」の本当の意味を少しずつ知っていくんでしょう

 

国や人種によって思想や宗教が違い、時に争いが起きること。

人を傷つけてはいけないと教えている学校の先生よりもずっと偉い、政治家という人たちがセンソウを起こしていること。

また、そんな思想などとは関係なく自己の利益の為だけにセンソウを起こす人がいること。

自分と同じぐらいの多くの子供たちが犠牲になっていること。

そして、センソウとは人と人の「殺し合い」ということを知ります。

 

できれば、そんな事知らないまま大人になってもらいたい、と多くの親は思いますが、過去の過ちを繰り返さないようにするためには知る必要があります。

            「この世界の片隅に

 

この映画は多くの戦争映画のような、戦争の怖さや悲惨さはあまり描かれておらず、貧しいながらも強く生きる人々の生活がとても細かな描写で表現されています。

観て感じたことは、戦時下の人々も現代に生きている自分たちと同じように普通に生活していたということ。

朝起きて家族でご飯を食べて仕事や学校に行き、夜は晩御飯を食べて風呂に入って寝る、という生活は今と同じです。

まあ、当たり前です。

そんな当たり前の生活の中に(いつの間にか)「戦争」が入ってきます。

 

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 「順応と慣れ」

人は環境に順応する本能が備えられています。

それがどんなに過酷な環境であろうと関係ありません。

時間が経つとお腹が空くし、夜になれば眠たくなります。

お腹が空けば食事を取り、眠たくなると寝床を用意する「生きるための活動=生活」をします。

そして、過酷だった環境でも毎日繰り返されることで「慣れ」

それがいつのまにか普通になっていきます。

 

映画の中で、

空襲警報が発令されると恐怖に慄きながら死に物狂いで避難していた人々が、毎日繰り返されることで慣れてしまって、しまいにはアクビしながら「は~、またか~。」と寝ぼけ眼で避難する場面がありました。

 

そういえば、東日本の震災後にも同じような事がありましたよね。

頻繁にあった余震やスマホの緊急警報のキュインキュインという音なども最初はドキドキしましたが、毎日繰り返されることで慣れてしまったことと似ています。

 

戦争の本当に恐ろしいところは、目に見えない部分にあるのかもしれません。

戦争と災害は全く違うものですが、危機への意識は常に尖らせておかなければいけません。

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忌野清志郎 瀕死の双六問屋 完全版」より

地震のあとには戦争がやってくる。

軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。

国民を馬鹿にして戦争に駆り立てる。

自分は安全なところで偉そうにしているだけ。

阪神大震災から5年。

俺は大阪の水浸しになった部屋で目が覚めた。

TVをつけると5ヶ所程から火の手がのぼっていた。

(これはすぐに消えるだろう)と思ってまた眠った。

6時間後に目が覚めると神戸の街は火の海と化していた。

この国は何をやってるんだ。

復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。

これが日本だ。私の国だ。

とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。

弟はドラムを叩くシーンで、僕はロックンロールじゃありませんと自白している。

政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後戻りできゃしない。

そのうちリズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。

政治家はみんな防衛庁が好きらしい。

人を助けるとか世界を平和にするとか言って、実は軍隊を動かして世界を征服したい。

俺はまるで共産党員みたいだな。普通にロックをやってきただけなんだけど。

そうだよ。売れない音楽をずっとやってきたんだ。

何を学ぼうと思ったわけじゃない。

好きな音楽をやってるだけだ。

それを何かに利用しようなんて思わない。せこい奴らとは違う。

民衆をだまして、民衆を利用して、いったい何になりたいんだ。

予算はどーなってるんだ。

予算をどう使うかっていうのは、いったい誰が決めてるんだ。

10万円のために人を殺すやつもいれば、

10兆円とか100兆円とかを動かしている奴もいるんだ。

いったいこの国は何なんだ。

俺が生まれ育ったこの国のことだよ。

どーだろう、・・・この国の憲法第9条は、まるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?

戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。

俺たちはジョン・レノンみたいじゃないか。

戦争はやめよう。

平和に生きよう。

そして、みんな平等に暮らそう。

きっと幸せになれるよ。

 

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戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち、アイスランドフィンランドスウェーデンノルウェーデンマーク、スイス、ブータン、日本の8カ国しかないらしいです。

安倍さんはアメリカから超高い兵器を購入すると約束してしまったようですが、本当に必要なものなんでしょうか。

牛丼大盛りを食べる女性

この前、おじさんの巣窟「吉野家」でご飯を食べていたら、若い女性が一人で牛丼の大盛りをおいしそうにバクバク食べて、お弁当まで買って帰っていきました。

どんだけ食うんだ!?と思いましたが、

とても清々しく、美しい光景だと感じました。

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「やってはいけないと思っていること」や「やらなければいけないと思っていること」って意外と多いんじゃないでしょうか。

周りが誰もやっていないことをやってしまった時や、周りが出来ているのに自分だけ出来ない時には、罪悪感や強迫観念にかられることがあると思います。

 

たとえば、

◯飲み会なんか行きたくないんだけど、みんな行くから断れない。

◯電車の乗り換えの時は急いでなくても周りにつられて走ってしまう。

◯休み時間やお昼に一人でいることが苦痛に感じる。

◯電車の中ではほとんどスマホを見ている。SNSを見てしまうクセがついてしまい、一日一回は見ないと落ち着かない。

◯お腹が空いていなくてもお昼や夜ごはんは時間になったら食べないといけないと思ってしまう。

◯本当は全身ピンクの服を着たいんだけど笑われそうで着れない。

◯退職や離婚は悪いことだと思ってしまう。

◯本当は帰りたいんだけどママ友の井戸端会議は最後までいてしまう。

 

「正しい生き方」というマニュアルがあり、本当に自分がやりたいことよりマニュアルの方が優先されているような気がします。

 

お腹が空いていなかったら別に無理して食べることはないです。人間1日1食でも十分生きていけます。

ピンクでも金色でも好きな洋服着ればいいんです。

電車の中でスマホを見ないでボーッと外の景色見ててもいいじゃないですか

いつもの電車でいつもと同じ道で会社にいかなくてもいいんです。たまには少し早く起きて、違う道で通勤してみるのもいいんじゃないでしょうか。

なんなら、そのまま会社の駅を通り過ぎて、山とか海とか行っちゃってもいいんです!(あとで怒られると思うけど)

 

大丈夫、あなたがいなくても会社は回るし、地球も回ります。

総理大臣が急死しても、日本は潰れません。代わりは腐るほどいます。すぐに元の日常に戻ります。

なんてことばかり書いてたら怒られそうですが、実際はそんな簡単にはいかないですよね。
生活とかもあるし。

 

でも、考え方を少しだけ変えるだけで呼吸が楽になり生きやすくなります。

日本は閉塞的と言われますが、それは環境の問題ではなくて人の心の問題で、みんながそうしているんじゃないでしょうか。

同調圧力や固定概念でガチガチに凝り固まった頭をやわらかくして、少しだけ楽観的に生きてもいいような気がします。

 

僕は昔から「脳天気 (別名:なにも考えていないバカ) ね。」と言われます。

時に楽観主義を貫きすぎて、まわりから怒られることも少なくありませんが、実は秘密があるんです。

海のある町で生まれ育ったせいか、いつも心の中には海があります。

いつもは穏やかな海ですが、何か嫌な事や精神的に追い込まれるような出来事があると、海がザバーンと波を立て「そんなの、どうでもいいじゃ~ん!!死ぬわけでもあるまいし。バ~カ!!」と言ってくれます。(バカは余分ですが。)

 

本当にどうでも良くなります。

自然の大きさに比べれば人間なんてゴマみたいなものです。

男も女も大統領も浮浪者も社長も新入社員もキムタクもオタクも、いじめっ子もいじめられっ子もみんな同じゴマなんです。

多少の大小はあれ、ゴマがゴマ同士でゴマゴマやってるだけで、所詮ただのゴマなのでゴマにマゴマゴ言われたくらいで思い悩む必要も自殺することもないんです。

ゴマゴマよくわからなくなってきましたが・・

どんなんでも、生きてりゃいいと思います。

 

疲れたら休めばいいし、追い込まれたら逃げればいい。

一回しかない短いゴマの人生、楽しく生きるか、つらいまま生きるかは自分次第です。

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http://simanchu.com/seasidestory/a/nr09.html
「波乗りレストラン」第9話

多分、僕にとっての「海」は逃げ場なんでしょう。

 

弱い人間には逃げ場が必要なんです。

場所じゃなくても、親でも友達でも、音楽でもゲームでもスポーツでもAKBでも、何でも良いと思います。

逃げ場があれば、周りに左右されないゆるぎない軸を持つことができます。

 

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日本の若年層の自殺は世界でトップクラスで、15歳から39歳の死因の第1位が自殺。事故死よりも自殺が多い国は、主要7カ国の先進国では日本のみだという。

学生と大人で自殺の原因は異なり、学生の自殺の引き金となるのは、

1位 いじめ

2位 ネットいじめ

3位 ヒキコモリ(他者からの孤立)

4位 経済的な問題

5位 受験での失敗

6位 就活の失敗

大人の自殺の引き金になるのは、

1位 病気などの健康問題(精神疾患が最多)

2位 貧困や事業不振、倒産、リストラなどによる経済状況の悪化

3位 家庭問題

4位 職場の人間関係

はじめまして!

東京都北区の鍼灸マッサージサロン「ココロマッサージ」代表の渡辺と申します。

心や体、本、映画、音楽、本などをベースに少し深い部分を突っついていきたいと思います。

ココロマッサージ www.kokoro-massage.com